ツガタケ
Cortinarius saginus


2006年9月3日、富士山御中道にて

■ 和名の問題
 ツガタケは、菌学者・川村清一(明治14年〜昭和21年)によって初めて和名が発表されたきのこで、没後の昭和50年に刊行された『原色日本菌類図鑑 第5巻』(風間書房)に、その詳細な記述と川村自身による写生図が載っている。この図鑑、当時としては豪華な天然色印刷で、発行部数こそ少なかったが広く学校図書館にも置かれ、きのこ愛好家の間では通称「川村図鑑」として親しまれた本であった。しかし、いまではこれを置いている図書館すら少なく、古書市場に出ても全8巻揃いで7〜8万から10万円以上することもある。きのこの蔵書マニアならともかく、ガソリン代と高速代の捻出に苦しむ普通のきのこ好きにとってはかなり高価であり、在庫する古書店も限られて入手はちょっと難しい。私は過去に持っていたが、用がなくなってから売ってしまった。いちおう関連ページをあちらこちらに転載したが、このイラストはデジカメで撮ったものだ。
 この図鑑の刊行以来しばらくは、ツガタケといえば川村図鑑のそれのことであり、伊藤誠哉著『日本菌類誌』にも、ツガタケの項には川村の記述がそっくりそのまま引用されている。青木実『日本きのこ検索図版』中でツガタケとして取り上げられているのも川村図鑑のそれである。青木はツガタケを見たことはない(そもそもフウセンタケ属をあまり見ていない)のだが、学名の選択に疑問を持った。海外の文献のそれと胞子サイズが合わないからである。ちなみに、青木がフウセンタケをあまり見ていない理由について、かつてご本人に尋ねたところ、「そりゃフウセンタケの生えるような所に行かなかったからさ」と言っていた。ようするに山にはめったに行かなかったようである。
 さて、川村図鑑の時点で学名の掛け間違いがあり、その後のきのこ図鑑もそれを踏襲した。結果として次のような問題が生じた。
 1つは、川村がツガタケの学名にCortinarius claricolorを採用していることだ。しかし、川村の記述を読み、写生図を見れば、それが現在C. claricolorと考えられている種でないことは明らかである。傘表面の特徴だけとらえても全然違う。ツガタケはC. claricolorのように傘の縁が白くなることはないし、またC. claricolorはツガタケのように傘表面に褐色の鱗被が散らばることはない。さらに柄の特徴も全然違う。ツガタケの柄は全体に(あるいは帯状に)褐色の繊維を薄く被るが、C. claricolorの柄はほぼ真っ白である。
 学名の掛け間違いのその後は・・・。「ツガタケ=C. claricolor」という名前の組み合わせだけが、ひとり歩きしてしまったことが問題をこじらせた。例えば、通称「本郷図鑑」といわれ、アマチュアきのこ研究者のバイブルともされてきた『原色日本新菌類図鑑』(保育社)の索引にツガタケは載っているが、該当ページを開いても「ツガタケ C. claricolor」とあるだけで、何の説明もない。この図鑑の前身である『続原色日本新菌類図鑑』での扱いも同様だ。両書の同じページには「オオカシワギタケ C. saginus」という文字があり、これまた何の説明もないのだが、このC. saginusこそ、川村の観察したツガタケの特徴にぴったり合致するきのこなのである。ところが川村は、オオカシワギタケというきのこにC. saginusの学名をあててしまったのだ。そして、このことが問題をさらにややこしくしてしまい、例えば次のようなことが起こったかもしれない。熱心なきのこマニアがC. saginusらしききのこを見つけ、海外の図鑑などで調べてC. saginusに間違いないと確信したとする。で、「和名は何だろう」ということになって本郷図鑑を開くと、「オオカシワギタケ C. saginus」となっている。「おお、そうか、オオカシワギタケという名前が付いていたのか」・・・これで済ませてしまう。
 しかし、川村図鑑のオオカシワギタケを見れば、それがC. saginusでないことは一目瞭然なのである。さっきのこちらを再び参照していただきたい。写生図に描かれた柄の基部形状を見ただけで、C. saginusでないことは明らかである。ツガタケ、つまりC. saginusの柄は円筒状もしくは棍棒状であるのに対し、オオカシワギタケの柄の基部は塊茎状に膨らんでいる。
 川村は『原色日本菌類図鑑』の序文で、天然色の写生図を採用したことの意義にふれ、「同定の学名に誤りありとするも、学術上の参考資料としての価値を失わず」と書いているが、出版から半世紀を経たいま、この写生図があるおかげで、「この学名は間違いで、ほんとは○○じゃないのか」と気づきやすくなっているわけである。しかし、冒頭に書いたように図鑑自体が閲覧しにくい現状にある。写生図の価値も、見られなければ無きに等しい。その点は残念だが、復刻は難しいだろう。きのこの分類(科や属)が変わりすぎたから、図鑑としては使いづらいし。
 なお、近年出版された池田良幸著『北陸のきのこ図鑑』(橋本確文堂)には、ツガタケという名のきのこが載っているが、川村図鑑のツガタケとはまったく異なる。本郷図鑑に準拠して編まれた図鑑という性格上、「ツガタケ=C. claricolor」を踏襲しており、まず学名ありきで、あとから本郷図鑑に従って和名をあてはめた結果と考えられる。
 和名には規約がなく、紳士協定のような感じで先名権(せんめいけん)が暗黙に尊重されているだけである。しかも、それすら無視されることがあるということだ。「学名が合ってりゃ和名なんか何だっていいじゃないか」という風潮も一部にはあるようだ。
 私なんかは、「ツガに出るからツガタケ。わかりやすくて、いい名前じゃないか」と思うし、昔からツガタケと呼ばれてきたのは事実なんだから、それでいいじゃないかと思うのですけどね。少なくとも富士山のツガタケはオオカシワギタケではありません。
(この項は2017年11月21日に少し書き直しました)
■ 発生環境と肉眼的特徴

〔発生環境〕
 夏秋、主に針葉樹林に生じ、稀にブナ林にも生ずる、と川村は書いているが、私は富士山の3合目より上でしか見たことがない。寄主はコメツガのようである。富士山に多いシラビソには出ない。
 川村が写生した個体は、「8月25日、須走2合目登山道より横に栂の純林に入りたる処で採りしもの」という。ここでいう「栂」はコメツガのことだろう。青木ヶ原あたりではツガもあるようだが、2合目でツガの純林というのは聞いたことがない。また、地元のきのこ狩りの人たちもコメツガをたんに「ツガ」と呼んでいるので、たぶんコメツガかと・・・。しかし、ツガに出ても全然不思議じゃない。マツタケにしてもツガとコメツガの両方に出るらしいし・・・。
〔肉眼的特徴〕
 傘:径4−8cm、若いときは半球形で、のち饅頭形から扁平に開く。縁は比較的長いあいだ内側に巻いている。表面は、最初、褐色の繊維を薄く放射状に被っているが、まもなく消失するか、あるいは縁の近くにわずかに残存する。やや白っぽい綿屑状の付着物をまばらに付けることもある。成長すると亀裂を生じ、やがてほぼ平滑になる。通常、暗色の斑点が見られるが、これはゼラチン質の表皮上層に残った皮膜の名残である。乾いているときはツヤがなく、湿っているときはぬめりがあり、やや光沢もある。色は暗黄褐色から橙褐色。縁に近いほど色が薄くなる。若いときは白いクモの巣膜が柄と接している。
 肉:色は白。いい匂いだが、あまり匂わない。味は温和。KOHでorange ocher-brownに変色するというが、じつはorange ocher-brownがどんな色だか知らない(^^;)
 ひだ:若いときは白っぽく、のち汚白色から次第に茶色っぽくなる。ひだの間隔は密で、縁はやや円鋸歯状。
 柄:60-90 x 10-20 mm、円筒形から棍棒状、しなやかで中実、基部の太さは30mm以下。地は白だが、黄褐色の繊維を帯状または全体に被る。ただし、クモの巣膜より上の部分は裸出している。
 ちなみに、柄は太短いものもあれば細長いものもある。川村図鑑の写生図の幼菌は、下の写真のような棍棒状タイプをもう少し太短くした感じかな。 また、柄も傘もでかいビッグな「ツガタケかな?」というきのこに出会ったこともあるが、調べてないので確証なし。どんな種でも特別でかくなる個体はあるから、そんなものかと思う。

            Other photos

胞子 ひだ 傘表皮

Home   和名索引   学名索引